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●生着後130日目 ★130th day after Allograft survival

2013年 08月05日 03:00 (月)

終戦記念日が近づくに従って原爆の話題が増えてくる。原発の汚染問題も絡め放射能管理の甘さを指摘する内容が多い。そんな中で、昨日の朝日新聞に68年前の8月6日に広島で被爆し、世界で始めて「原子爆弾症」と診断された演劇隊の女優のカルテの一部の記録が東大病院で見つかったとの記事が出ていた。幻のカルテとして研究者は長年探していたようであるが、その内容は実に生生しい。
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1945年
8月16日 
・東京大学旧第二外科に入院。体温37.8度 白血球400(通常は下限値で3500である)
8月17日
・脱毛が始まり、背中の傷が急に悪化
8月19日
・体温39度に上がる
8月21日
・体温40度近くに。17時から25分間、悪寒と戦慄が続く。輸血。
8月22日
・白血球300に減少。傷の周りに感染性の潰瘍できる。輸血。
8月23日
・注射した部位に感染性の潰瘍。米粒大の出血斑出る。輸血
8月24日
・体温40.4度。午後0時40分死亡。
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広島で被爆してから、11日目に逃げ帰った東京で東京大学に入院するも被爆から18日後に死亡した記録だ。
仲みどり 被爆カルテ


当初、原子爆弾の及ぶ影響は、爆風による破壊と熱線によるやけどと考えられていた。放射線医学に詳しい医師も当時は少なかっただけに、当時の被爆者の診療記録が見つかった事は、原爆の及ぼした影響を医学的見地から回帰する上で、年々被爆者が減り、時間に押し流されつつある悲惨な歴史が薄らぎつつある中で、今再び省みるのに社会や世界に強いインパクトを与える良い結果になったろうと思う。

自分は治療のため、全身放射線治療をした。時間にして4時間。浴びた放射能量は計16グレイである。
これは、福島原発の作業員が許容できる放射能量の50倍以上の強さである。血液細胞を殺すための処置なのだからこれくらい多いのは当然である。しかし広島の原爆ではこの女性が受けた被爆地では8シーベルト以上はあったろうといわれている。シーベルトは体に受ける放射能のエネルギーなので、これを物体が放出する放射能の線量単位であるグレイをシーベルトに置き換えると、シーベルト=グレイ×放射能荷重係数(1.0)×組織荷重計係数(皮膚や骨は0.01)となる公式から、16グレイの放射能は0.16シーベルトの皮膚や骨への影響となるため、原爆で皮膚を焼く放射能とは自分の受けた全身放射線治療のさらに50倍の強さが原爆の放射能だったと言える。白血球を含み血液を破壊するのに0.16シーベルトで十分なのに、さらに50倍の強さを浴びたのだから考えられない強さだ。雑菌に対する抗体が全く無いまま、被爆時の傷と注射針傷からの感染症、口や鼻からの消化、呼吸器官の感染症など併発し、臓器が破壊されるよりも早く、敗血症で亡くなってしまったのだろう・・・。放射能治療時は必ず吐き気止めの注射をするが、それでも吐き気が出る人や、気分を悪くする人が多い。享年36歳だったようだが、被爆してから亡くなるまでの18日間、体力と気力もある年令なだけに、放射線の恐ろしさを知らず、ただただ体調不調を感じながらも十分な処方が取られないままで希望を持ち耐えた苦痛はどんなに辛かったろう。今カルテを世に知らしめ、再燃の意識を持たらせてくれた事にこの女性や、カルテを探し続けていた、すでに亡くなられた多くの研究者達の強い念を感じ、感謝とご冥福を時代を超えて祈りたい。
仲みどり 画像


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